3ヶ月前、真希の誕生日に起きた事件

3ヶ月前の5月、真希は鏡の前で、今日着ているワンピースと同じものを体にあてていた。

その日は、ちょうど真希の30歳の誕生日で、レストランでディナーデートをする予定だった。

「俺、日中はちょっと用事あるから。直接店で落ち合おう」

そう言ってソワソワと家を出て行った慎二を見て、真希はひそかに確信を深める。

― もしかして今日、プロポーズされちゃったりするかも!

プロポーズされるとしたら、思い出に残るようなオシャレをしなければならないだろう。

そう考えた真希は、ウキウキとはずむ気持ちでクローゼットを引っかき回し、ワンピースを取り出したのだ。

このワンピースは、3年前の誕生日に慎二がプレゼントしてくれたもの。少し値段は張ったものの、「よく似合うよ」と言って奮発してくれたあの時の慎二を思い出し、真希は頬を赤らめる。

― 今夜も「似合う」って言ってくれるかな…。

しかし、次の瞬間。ときめきで上気した頬は、一転して血の気が引き真っ青に変わった。

ワンピースは似合うどころか、背中のファスナーさえ上がりきらない。

「嘘、そんなはずない」

どうにか無理やり体を押し込んでみたものの、鏡に映る自分はまるでボンレスハムのようだ。

― そんな…。慎二との生活が幸せすぎて、私いつの間にか、こんなに太っちゃってたの…!?

どうあがいてもワンピースを着こなすことができなかった真希は、半泣きになりながらレストランへと向かった。

服装は結局、日頃から着ているゆったりとした普段着だ。テンションが上がるわけがない。

そのうえ最悪なことに、真希をがっかりさせる出来事はそれだけではなかったのだ。

コースが終わり、デザートが出され、コーヒーを飲み…いつの間にか慎二は会計を済ませている。

― 5年も付き合ってて、30歳の誕生日だもん。絶対にある。

そう確信していた慎二からのプロポーズはなく、真希の期待は完全に打ち砕かれたのだった。

けれど真希には、慎二を恨む気持ちなどこれっぽっちもなかった。代わりに胸に湧いてきたのは、消えてしまいたいほどの劣等感だ。

― プロポーズなんて、なくて当然だよね。私、こんなに太っちゃったし…。

一度そう思ってしまうと、思い当たることばかりが頭に浮かんでくる。

慎二はここのところ、休日に「予定がある」と言って消えてしまうことが多くなった。

夜にベッドの中で、「触り心地最高〜」などとおちょくられながら、二の腕やお腹周りの肉の感触を楽しまれることもある。

― こんなんじゃ、慎二に嫌われちゃう。そんなのやだよ。もっと慎二に愛されたいよ…。

「おいしかったね、真希」

「うん…」

卑屈になりながらの帰り道に、真希は誕生日だというのに最低の気分を味わっていた。慎二もいつもより口数が少なく、終始つまらなそうにしている。

けれど、言葉少なに最寄駅の学芸大学駅へと着いた、その時。

「あっ」

と、慎二が驚いた声を上げた。

不思議に思った真希も、うつむいていた顔を上げる。

するとそこには、信じられない人物が立っていたのだった。

「やだ、真希じゃん!久しぶりー!」

「もしかして、瑞穂…?めっちゃ痩せたよね!?」

足踏みをしながらイタズラっぽい笑みを浮かべる、ランニング中の美女…。

大幅にイメージが変わっているものの、間違いない。大学時代に真希と慎二と同じゼミだった友人・瑞穂だ。

数ヶ月前に同窓会で出会った時にはぽっちゃりしていた記憶だが、目の前の瑞穂はすっかり美しくあか抜けている。

「ジム帰りに会うなんてびっくり!私、そこの『かたぎり塾』に通っていて、帰りはこうしてランニングもしてるの。ちょっとは痩せたかな?

それにしても久しぶりだね。慎二とは時々連絡とっているけど!」

「え?時々連絡…?」

美しく変貌した瑞穂の姿に圧倒されていた真希だったが、瑞穂の口から飛び出た聞き捨てならない言葉にギョッとする。途端に、慎二が焦った様子で瑞穂をたしなめた。

「ちょ、瑞穂…!」

「あ、ヤバ。ごめん…!じゃ、じゃあね真希!私も学大住んでるの。また今度ごはんでもしようね〜!」

小声で慎二と意味深な言葉を交わし合い、そそくさと去っていく瑞穂を目の前にして、真希の脳裏に不穏な記憶が蘇る。

― そういえばゼミ時代、瑞穂が慎二のこと好き…っていうウワサもあったっけ…。

「ねえ慎二、瑞穂と慎二って…」

押し寄せる不安に思わず問い詰めようとするものの、慎二はまるで何事もなかったかのように話をはぐらかすばかりだ。

「はあ…。なんか俺、今日はすげー疲れたわ。早く帰って寝ようぜ」

その言葉のとおり、慎二は家に着くなり早々に寝てしまった。しかし、のん気にイビキをかき続ける慎二の横で、真希はまったく寝付くことができないのだった。

ボリュームを増した自分のお腹をぷにぷにとつまみながら、先ほど目の当たりにした、瑞穂の引き締まったボディラインを思い出す。

― あれ?このままじゃ私、結婚どころか…もしかして慎二に捨てられる?

強烈な恐怖に襲われた真希は、ガバッとベッドから飛び起きると、スマホを手に取りカレンダーアプリを立ち上げた。

痩せなければ、慎二は瑞穂とか綺麗な人のところに行っちゃうかもれしれない。

焦った真希の頭の中で、たったひとつの考えが、警告灯のように点滅していた。

「や、痩せなきゃ」

次に控えているふたりの記念日は、3ヶ月後の慎二の誕生日だ。

それまでに、3kg…いや、5kg痩せる。

そう決めただけで一瞬、わずかに恐怖が薄れるような気がした

「けど、どうやって?」

以前にも、自己流のダイエットはしたことがある。けど、もともと運動は苦手なのだ。少し走っただけで息は上がってしまうし、食事制限は倒れそうになっただけでなく、反動でドカ食いをして前よりも太ってしまったこともある。

「だめ。絶対にうまくいかないよ…」

泣きそうになって頭をかかえたその時、突然、先ほどの瑞穂の言葉がよみがえってきた。

『ジム帰りに会うなんてびっくり!私、そこの「かたぎり塾」に通ってて…ちょっとは痩せたかな──』

― そうだ。「かたぎり塾」。瑞穂が痩せたって言ってた「かたぎり塾」って、一体なに?

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